1月29日


神のいつくしみ
Divine Mercy

友よ、ようこそ!


「窮鳥(きゅうちょう)懐に入れば、猟師も殺さず」
という言葉を思い浮かべる。
追い詰められ、逃げ場も見つからない鳥は、
ついに猟師の懐に飛び込んで身を委ねる。

かわいそうにと思った猟師は殺す気にならない。
人間に対する父なる神の慈愛は、まさにこのよう
なものなのだろうか。

しかし、
神のいつくしみと神の正義との関係は
どうなっているのだろうか。
その説明も重要である。

イエスは福音宣教を始めた時、
「悔い改めよ。天の国は近づいた」と宣言された。
また、ある時は
「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、
罪人を招くためである」
言われた。
それは、罪人が罪の生活から離れ、
正しい道を歩むためであるに違いない。

放蕩(ほうとう)息子のたとえ話でも、
息子は心を入れ替えて
父親のところに戻った時、
初めて父親に温かく迎え入れられたのである。
つまり、
相変わらず罪の生活を送り続けていても、
自分が救われると思うことは大間違いである。

復活節第二主日は、
「神のいつくしみの主日」に当たるが、
この「神のいつくしみ」に信頼を置く信心を広めたのが
聖ファウスティナ。

イエスは彼女にこう言われた。
「わたしは正しい審判者として来る前に、
まずわたしのいつくしみの戸ロを広く開ける。
この戸ロを通って入りたくない人は、
正義の戸ロを通って入らなければならない。」

神は絶えず人間の回心を待っておられる。
そればかりか、
進んでご自分のいつくしみをもって
人を追い掛ける。

神は人間の自由やその選択をも尊重される。
人間が神のいつくしみを拒むなら、滅びへの道しかない。

幸いにも正義の日がやって来る前に、
神はまずいつくしみの日を送ってくださる。

キリストと同じように十字架にかけられた犯罪人は
キリストに目を向けて、
「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、
わたしを思い出してください」と言った。
するとイエスは、
「はっきり言っておくが、
あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」
とこたえるのだった。

罪のない人間はいない。
人は誰でも、慈悲深いキリストの懐に飛び込み、
「イエスよ、あなたを信頼します」と言い続ければ、
きっと人生の見通しが明るくなるだろう。

祈りを込めて、
ペトロ神父